平成19年3月、苫小牧市議会厚生常任委員会は、沼ノ端南町内会エリアを「東開町」とする議案を可決した。しかし、「沼ノ端」の地名を残してほしいとする住民の思いは強く、訴訟にまで発展した。
■諮問と答申
当時の報道をたどれば、概要は次のようだ。
平成17年、人口増加、住宅地拡大が続く沼ノ端地区の住居表示について、市長は「南地区(鉄道から南側)は中央町内会、南町内会の枠組みで二つの町に分ける」という原案で市住居表示整備審議会に諮問した。
同18年7月25日、審議会は沼ノ端南町内会エリアを「東開町(とうかいちょう)」とすることなどを答申した。
しかし従来、住居表示については地域住民の中に「慣れ親しんでいる地名を残してほしい」と望む声が強く、住民有志が新町名を「沼ノ端東開」とする変更請求を203人の署名とともに市に提出した。市議会は公聴会を開いて賛否の意見を聞いた後、3月定例会で「東開町」とする議案を可決した。これがその後、住居表示の公告取消請求の行政訴訟へと進むことになった。
■行政訴訟
住民有志は市議会を前に住居表示の公告差し止め請求、可決後には取消請求の行政訴訟を起こした。この訴訟は多くの人を驚かせた。同時に、多くの人々に住民と行政との町名に対する意識の乖離(かいり)について考えさせた。
行政が決めた住居表示に異を唱えて訴訟を起こすなどということはかつてなく、行政側の驚きは大きい。
しかし、沼ノ端地区は開拓から100年以上の歴史を持ち、そこで生まれ育った人も多い。突然町名が変わることに驚き、納得がいかないのも当然といえば当然であろう。
■役所のメンツ?
郷土史的に見れば、地名というものは、その地域の生活と歴史の中で呼び習わされて定着するものであり、その短い地名の中に多くの事柄を含む。
そのことは、市も市議会も知らぬことではない。市が「東開町」にこだわったのは、「字名は新町名には使えない」という、市の住居表示実施基準があるからだという。しかし、実施基準の文言、表現の不適切さを認め、今後の住居表示審議会での検討に生かしていく旨を答弁した。市議会も住民の意見を尊重するよう求める要望意見を付しての可決となった。
そこまで分かっていながら町名論議のやり直しをしなかったのは、役所のメンツにこだわったに過ぎなかったのかどうか。
(一耕社・新沼友啓)
《2007年報道ドキュメント》
〈7月1日〉
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〈11月19日〉市内全小中学校の学校給食でアイヌ料理が初めて登場