町田 そのこ 作/金子 幸代 画/〘25〙

  • 暮ラ2
  • 2025年6月5日

 一章 亀裂

 母はおれの顔をちらりと見て「頑張ってね」と返事にならないことを言い、ゆっくりとドアを開けて出て行った。

 *

 元旦に起きた騒動のせいで、正月気分を味わうことができないまま、短い休暇が終わった。

 仕事始めから二週間後。腹の中に大きな石を抱えているようなモヤモヤを抱えたおれは、物置と化していた社内の旧倉庫の掃除をしていた。一通りの、半ば強引な業務引き継ぎが終わってしまうと、お役御免とばかりに雑用を命じられたのだ。

 大昔の販促パネルやグッズ、埃(ほこり)をかぶった作業着などが溢れてきて、うんざりする。未使用のまましまい込むくらいなら、グッズなんて作るなよ。作業着のリニューアルをしたときに、古い方は捨てておけよ。こういう杜撰さが、食中毒事件に繋がったんだよ、ふざけんな。

 脳内で愚痴を零(こぼ)していたつもりだったが、いつからか口から垂れていたらしい。おれと一緒に作業していた生田(いくた)――商品管理課の部下で、解雇仲間になった――が「係長が荒れてるの、初めてみました」と笑いだした。

 「いつも穏やかにしてるから、怒らないひとなのかと思ってたっす」

 「そんな、できた人間じゃないよ。器も小さいしな」

 「係長の器が小さかったら、会長は醤油皿くらいっすかね」

 こんくらい、と生田が片手の親指と人差し指でわっかを作ってみせた。

 仕事始めの、社員全員が揃う朝礼には会長が登壇した。朝礼台の上で偉そうにふんぞり返った会長を、おれを始めとした解雇組は睨みつけるつもりで見つめてやった。その効果だろう、訓示となればいつもは十五分も三十分も喋り続ける男が、ものの数分で『今年も頑張って頂きたい』と雑に話を切り上げた。慌てて事務室に逃げ込む背中は、でっぷり太って情けなかった。

 「そうだな。あいつは小さくて深みもない」

 はは、と笑い飛ばしておきながら、おれこそ醤油皿だなと思う。まったく、器が小さすぎる。会社でも、家でも。

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