〘26〙/町田 そのこ 作/金子 幸代 画

  • 暮ラ2
  • 2025年6月6日

 一章 亀裂

 美都と喧嘩した。

 きっかけを作ったのは、おれだ。母が面倒を見ているだろう男に文句を言いにあすなろ荘に行く、とおれが言ったことで、美都がキレた。

 『あのさ。突然のことで動揺しているんだろうなと思って、暴言も聞き続けてきたけどさ。もうやめなよ。みっともないよ』

 『は? みっともないってなんだよ。おれは正しいことを言ってるつもりだけど?』

 『全然、正しくないよ。いくら息子だからって、夫婦が納得したことに口出しするのやめなよ』

 はー、とため息を吐いた美都が自分の前髪を掻き上げた。それは、苛立(いらだ)ったときの癖だ。でもおれは、何でいま美都が苛立っているのか分からない。むしろ、美都の理解のなさを突き付けられた思いだった。

 美都の両親は、仲がいい。夫婦共に山登りと温泉が好きで、休日にもなればふたりでいろんなところに出かけている。悪夢の元旦の二日後に家族で新年の挨拶に行ったけれど、いつも通り、仲睦(むつ)まじそうにしていた。美都は、自分の両親に起きた問題じゃないから、どこか他人事(ひとごと)なんじゃないかという気がした。

 『どう考えても、おれが正論だろうよ。ほんとうにまっとうなことなら、口出しなんてしない。むしろ、応援だってしてやるよ。でも今回のことは、違うだろ? どう考えても、母さんは色ボケしてる』

 『……色ボケ? 自分の母親に、よくそんな酷い言い方できるね。純愛だとか、思わないわけ』

 『純愛? 馬鹿じゃないのか。四十何年連れ添った亭主を捨てていくなんて、色ボケ以外の何物でもない。だいたい、ババアの純愛なんて、気持ち悪いだけだろうが』

 このとき、おれは酔っていた。酒を飲まねばやってられない気持ちだったのだ。悪い酔いが、汚い言葉をあえて使わせた。

 美都が『信じられない』と眉をぎゅっと寄せた。すっぴんで、眉毛の半分がなくて、それでも三十七歳の美都の顔はまだまだ若くて、可愛いといえた。結婚して十三年の妻の怒った顔を見て、おれは『美都はまだ女としてイケるよ』と言った。

 『女として通用する。でもオフクロはもう終わってんだよ』

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