京都に生まれ育った歴史小説家による京都についてのエッセー。大学院では歴史研究の道を志し、博物館勤務の経験もあるという。京都人としての皮膚感覚と研究者としての資料読解力、そして作家としての好奇心と行動力で京都を語る。
たとえば「京都人は行かない金閣寺」という章。観光名所といわれるところほど、地元の人はあまり訪れないもの。金閣寺は「京都の人間には近くて遠い場所なのだ」。
しかし、話はそれで終わらない。金閣寺は江戸時代からすでに有名観光地の一つとして知られていたこと、浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」のせりふにも出てくることなどにも触れる。
金閣寺は1950年に放火により焼失、5年後に再建された。三島由紀夫の小説などによってぼくらがイメージするのは金ピカの楼閣が燃え上がる光景だろう。ところが焼失前はところどころに金箔(きんぱく)が残るだけで、江戸時代後期には「古色蒼然(そうぜん)たる有様だった」というのだ。
あるいは、「『薪能』普及の立役者はオリンピック?」という章。毎年6月1~2日に平安神宮で京都薪能が催される。なんとなく伝統行事だというイメージがある。
今ではいろんなところで開催される薪能だが、もともとは奈良の興福寺で2月の修二会(しゅにえ)に合わせて行われてきたものを指したと著者はいう。京都薪能が始まったのは1950年。そもそも平安神宮からして明治時代に建てられた新しい神社だ。京都薪能で行われる「火入れ式」はオリンピックの聖火台点火を見て思いついたものという説も紹介している。
「物事の由来や伝統とは、ほんの数十年もあれば変質する」と著者はいう。
ぼくは1年前、京都市民になった。それまで13年間続けた東京と京都の2拠点生活をやめて京都定住を選んだのだ。そんなぼくにとって、本書は「そうそう」とうなずくことと、「そうだったのか!」と驚くことの連続だ。京都は奥が深い。
(永江朗・ライター)
(新潮社・1760円)