町田 そのこ 作/金子 幸代 画/〘29〙

  • 暮ラ2
  • 2025年6月10日

 一章 亀裂

 喋り方はチャラいけれど真面目な男だと思っていたが、私生活では派手にしているのかもしれない。そして、逞(たくま)しく生きているのかもしれない。

 「死人は出なかったし、ゲロゲロ下痢ピーになったひとたちもいまはもう全員元気だし、社内のルールも見直しされたから再発もきっと起きないし? なんやかんやでうまいこと落ち着いたわけで、それならオールオッケーすよ」

 心底そう思っているのだろう、生田の気の抜けた喋りについ笑う。それから、おれも若いころは生田のように楽天的な部分があったなと思い出した。あれは、若さゆえの万能感がもたらしていたのだろうか。どんなトラブルも必ず切り抜けられると信じられた。

 「おれも年を取ったのかなあ。希望を抱けていたはずのタイミングで、絶望を覚えるようになったなあ。心にあったはずの余裕が狭くなってる気もするよ」

 「係長は、慎重になっただけじゃないすか? 家庭を持つと、保守的になるっていうじゃないすか。オレもいつか家族欲しいし、そんときには係長と同じこと言ってるかもしんないすね」

 へへへと生田が目を細める。

 「生田は、退職後はどうするんだっけ」

 「友達が四月にハンバーガーショップをオープンさせるんで、軌道に乗るまでは手伝いに入るつもりっすね。あ、来てくださいよ、マジ美味(うま)いんで。駅前のサボテンビルの二階です」

 「あの辺り、ハンバーガー屋ばかりじゃなかったっけ?」

 「そうす。激戦区っす。こう、滾(たぎ)りますよね」

 てっぺん獲(と)ったる、みたいな。にかりと生田が笑い、おれも笑う。

 「実はオヤジが年甲斐(がい)もなくハンバーガー好きなんだ。行くように言っておくよ」

 「まじすか。お父さん舌が若いっすねー。ぜひぜひ!」

 生田と話していると、少しだけ気持ちが持ち上がった。それから、仕事帰りに実家に寄ってみるかと思いつく。

 混乱するばかりだった元旦以降、つまり二週間以上父に連絡ひとつしていなかったことに、ようやく思い至ったのだった。

こんな記事も読まれています

ニュースカレンダー

紙面ビューアー