一章 亀裂
「初めまして! あなたが眞さんですか!」
キッチンにいた男が、ぱたぱたとおれの方へ来た。
「いま、この家でお世話になっている若市佑月(わかいちゆづき)といいます。住むところに困っていたら、尚蔵(しょうぞう)さんが、空いてる部屋があるからって声をかけてくれて」
にっこりと笑いかけられて、おれはフリーズした。
百七十のおれが見上げるほど背が高い。百八十は確実に越しているのではないだろうか。グレーのスウェットを着た肩幅は広く、確実にマッチョ。短い黒髪に、冬なのに日に焼けた肌。男の美醜はよく分からないけれど、イケメンに分類されるのは間違いない。年は、いくつだろう? あどけなさもあるけれど、目じりの皺の感じだと二十代後半?
「若市、さん。あの、父とはどういうご関係で」
「さっきも言った通り、住むところに困っていたところを助けていただいたんです」
「何それ」
昔話か? 鶴か何かか? 令和のこの時代、困っている何者かを突然家に迎え入れるなんてこと、あり得ないだろ。
「どういうこと、オヤジ」
父を見れば、父は「二階が空いてる」と新聞を折りたたみながら言う。
「おれは一階の和室で寝ていて、二階には滅多に上がらん。お前と杏璃の部屋がふたつ、空いてるだろ。誰かが使った方が、部屋が傷まなくていいしな」
「いやだからって! このひと、元々の知り合いってわけでもないんだろ? そういうの、危ないって。独り暮らしの老人を狙った詐欺師とか」
「しませんよ、そんなこと」
心外だというように、若市が声を上げた。
「おれ、雅楽(ががく)っていう和食専門店の厨房(ちゅうぼう)で働いてたんですけど、年末に潰(つぶ)れちゃったんですよ。半年ほど前にイナズマクラッシュって呼ばれた食中毒事件があったの、覚えてますか? イナズマクラッシュを起こした居酒屋と経営者が一緒なもんで、影響受けちゃって」
ぐえ、と喉の奥で蛙(かえる)が絶命したような声が出た。