書名にある「裸」は、単に彼らの外見を指すのではない。本書の中では「ありのまま」と振り仮名が付されている。
ネアンデルタール人研究の第一人者が、長年の研究成果を通し、彼らのありのままの姿を見詰めようとする。この絶滅した知的生命体の正体に迫るためには、これまでの固定観念や価値観にとらわれず、考古学的データや権威ある学説からも距離をとり、「私たちが着せてきたけばけばしい衣装をはぎとらなくてはならない」と主張する。
約4万年前に消えたネアンデルタール人の暮らしは図書館に並ぶ文献や博物館の引き出しの中にはない。暮らしを伝えるかすかな痕跡は、化石となって古い洞窟の土の中から現れる。それらは間違いなく彼らが実在した証拠ではあるが、問題はそこからの思考だ。
たとえ私たちの認識が科学的なアプローチに基づいているとしても、それは今日の私たちの世界観や人間観に縛られている可能性がある。著者はこのバイアスに繰り返し警鐘を鳴らす。研究者としての感情や願望を捨て、彼らに最大限の敬意を抱き、何も語らない化石から語り得ることを手探りで見つけていく。
カニバリズム(食人の風習)はあったのか、日常生活は儀礼化されていたのか、美意識や芸術の心は持っていたのか…。彼らと現生人類の差異と類似は、想像と妄想と期待を行き来し、ロマンある物語のように記されることもある。しかし、実際に起きたのは征服者と被征服者の交代であり、物語はいつも勝者によって記される。この構図をアメリカ先住民に対する文化的同化政策になぞらえ、安易な物語化は私たちが担うべき原罪の否定であると捉える著者の指摘は鋭く胸に刺さる。
ありのままの彼らを見つめることは、かつての私たちの行為を通して私たち自身を見詰めることにもなる。本書によって裸にされるのは私たちの精神構造だ。裸の自分を見るのは勇気がいるが、ありのままの自分を知ることは大切かもしれない。
(小林直之・文芸評論家)
(柏書房・2420円)