苫小牧市住吉町の市営住宅で1人暮らしの高齢者の部屋を訪れる「見回り活動」や、切り絵教室を開いている。活動を始めて15年以上たつが、休むことなく地域の見守りに尽力してきた。
戦中の1940年3月、豊浦町で6人きょうだいの次男として産声を上げた。その後、十勝管内の本別町に移り住み、終戦を迎える。炭焼きの家業を手伝いながら幼少期を過ごした。「父親は手先が器用で、わらで靴や手袋など何でも作ったほか、貧しい中でも近所の困っている人に食事や物を与える人情味あふれる人だった」と話し、この頃から物づくりの魅力に目覚め、高校卒業後は木材加工の仕事に就いた。
80年、転職を機に妻と苫小牧市有珠の沢町に移住した。住んでいた宿舎では、住民で組織する自治会に加入。当初は右も左も分からなかった苫小牧の暮らしは近隣住民に支えられ、人のつながりの重要性を学んだ。自治会活動にも励み、仲間と汗を流した。
25年後、住吉町の市営住宅に引っ越した。しかし、住民同士の交流がなく、物騒な事件が多発するなど、これまでにない光景を目の当たりにする。「まとまりを作って楽しく過ごしたい」と2008年3月、「住吉公住11号棟自治会」を発足。当初は夜間パトロール活動から始めたが、認知症で徘徊(はいかい)する高齢者がいるなど、さまざまな事情を抱えた世帯が居住していることを認識した。
そんな時、最悪の結末が訪れる。棟内で1人暮らしの高齢女性が孤独死した。ベッドから転落し、体が不自由な女性は助けを呼ぶこともできず衰弱した。「近所付き合いがあれば、救えたかもしれない」と後悔する。これが大きな転機となり、独居世帯の見守り活動を始めた。
まずは、困り事があれば24時間対応できるように携帯電話の番号を共有。そして訪問では、「いますか」と村上さんが問いかけ、ドアを開けると、居住者は「生きてるよ」と笑顔で返答する。中には、訪問の際、「恥ずかしい。来ないで」と拒む高齢者もいたが、自治会の会長も務める村上さんや役員が熱心な声掛けを続けた結果、「あのね、ちょっと相談が・・」などと、いつの日か頼られる存在になった。
現在、棟内は半数以上の世帯が65歳以上の高齢者世帯で「死ぬ直前まで、ここにいたい」と考えている人が多いという。少なくとも、2日置きには必ず顔を合わせ、安否確認や交流を習慣にしている。
趣味で始めた切り絵は市住の一角に開設したアトリエで教室も開く。子どもや留学生なども通い交流の場にもなっている。
「ここにいる人はみんな家族であり、助け合うのは本来あるべき地域の姿だと思っている。私自身も見守られていると実感しているので、今後も活動を継続したい」と意気込んだ。
(富樫陸)
◇◆ プロフィル ◇◆
村上博(むらかみ・ひろし)1940年3月30日、豊浦町生まれ。市営住宅で暮らす高齢者の見守り活動を続け、孤独や不安を解消してきた。趣味は切り絵で、市営住宅棟内にアトリエがあるほか、外国人や地域住民対象に教室を開催。苫小牧市住吉町在住。