苫小牧市役所に36年間勤務し、退職後は5年間の苫小牧地域職業訓練センターを経て、現在は錦岡保育園(市宮前町)の園長を務めている。「子どもたちはみんな孫みたいにかわいい。園児の成長を日々見られるのがやりがい」と話す。
高度経済成長期に突入する1954年に函館市で生まれた。道職員だった父親の転勤で小、中学校時代は旭川市、苫小牧市、石狩管内当別町、後志管内倶知安町で過ごした。中央大学卒業後の79年に苫小牧市役所に入庁し、秘書課に配属。翌年の80年に盟約を結んだニュージーランドネーピア市との国際姉妹都市締結が印象に残っている。体を動かす事が好きで、市役所のアイスホッケーチーム、朝野球チームにも所属。ボート競技の大会などにも参加していた。
市役所では当時珍しかった転勤を経験している。2003年~07年までの4年間、東京事務所副所長として勤務。市への企業誘致や国の機関との窓口が大きな役割だった。大企業の社長や中央省庁の官僚、著名な学者とも面会する機会が多く、苫小牧に戻った時に生かせる事がないかと日々考えながら仕事に取り組んだ。当時首相だった小泉純一郎元首相、麻生太郎元首相などの政治家と会った際には、相手を気遣う姿勢や親しみやすさ、思いやりに深く感銘を受けたという。全国各地へ視察に赴く事もあり、「本州各地の歴史を勉強できる貴重な体験だった」と振り返る。
苫小牧に戻り、空港港湾課副主幹、児童家庭課主幹、政策推進課長や室長を経て、退職前の3年間は危機管理室長を務めた。14年に起きた1時間110ミリの集中豪雨では、道路陥没や冠水などの大きな被害が発生し、その対応に奔走した。この経験を基に、市では災害対策の施策が急速に進んだという。
退職後は苫小牧地域職業訓練センター(市新開町)の所長に就任。就職を目指す若者や離職者の再就職に向けて支援を続けた。「企業が人材不足で、技術や充実した環境を継承できないといった問題を少しでも減らしたい」と思いは強かった。資格取得などに奮闘する周りの人々の影響を受け、自身も小型車両系建設機械運転、2級ファイナンシャル・プランニング技能士などの資格を取得した。
2021年には錦岡保育園の園長に就任。0歳から5歳までの園児約90人の成長をそばで見守っている。22年末で市の出生数が1000人を下回った事を危惧(きぐ)する。その一方で共働きの夫婦も増えている。「保育園の責務は重大で、需要はこれからも多い」と見通しながら、「子どもたちはさまざまな事を教えてくれる。毎日が本当に楽しい」と笑顔を浮かべる。(本田風花)
◇◆ プロフィル ◇◆
山口 康男(やまぐち・やすお) 1954年10月、函館市で生まれる。36年間、苫小牧市役所の職員として勤務し、現在は錦岡保育園園長。趣味はスポーツで朝野球ではキャッチャー、アイスホッケーではGKのポジションを務めた。苫小牧市有珠の沢町在住。