「制定から20年たっても、みんなが一生懸命やってくれているのは、(制定)当時の市長として本当にありがたい」
7月、苫小牧の市民グループ「『非核平和都市条例』を考える会」が住吉コミセンで催した集会。招かれた鳥越忠行さん(82)=市花園町=の胸中には、今も条例を生かそうと活動する市民への感謝があった。
”核なき世界”を目指す非核宣言を行い、平和事業に取り組む市町村の数は国内で約1660にまで増えているが、宣言より強い自主法の条例を定めるまちは少ない。道内では2002年4月に施行した苫小牧市のみだ。その条例化も、決して平たんな道のりではなかった。
実現に向けては、長年にわたる市民運動が力になった。中心を担った「大地の会」(2003年解散)は旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)をきっかけに、女性8人が呼び掛け人となって88年に発足。核の怖さを学ぶ集まりを重ねるうち、非核平和への思いを強め、95年9月に市議会に条例制定を求める陳情を出した。翌96年3月、議会の趣旨採択にこぎ着けたが、市長だった鳥越さんは慎重姿勢を崩さなかった。趣旨を理解していたものの、米国の”核の傘”にある安全保障の観点から国の反発を招きかねない―と思ったからだ。
大地の会は諦めず、制定を求める署名活動を展開。そこに2000年、苫小牧港への米軍艦「ブルーリッジ」寄港問題が浮上し、これが転機となった。艦船に核兵器搭載の懸念があったため、市は入港に難色を示し、市民の反対運動も高まった。
結果的に寄港は見送られたが、また同じ問題に直面しないよう鳥越さんは覚悟を決めた。非核三原則の順守を求めて外務省や米領事館との協議に臨み、その中で後ろ盾の必要性を痛感したという。「(非核)条例があれば、市民を挙げた行動となる」。そう考え、02年3月の定例市議会へ条例案を提出、全会一致で可決された。「市民運動の後押しは大きかった」と鳥越さんは振り返る。
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「核兵器のない平和の実現に努力していくことを決意し、この条例を制定する」―。核実験の反対表明や恒久平和の意義普及など全7条で構成する非核平和都市条例の前文には、そう記されている。
条例に基づき市は、小中学生広島派遣や原爆パネル展など夏の平和事業、外国の核実験に対する抗議文発送などを行っているが、大地の会の副代表だった斉藤けい子さん(75)=市双葉町=は、制定から20年を迎えても「条例の存在すら知らない市民はまだ多い。生かして子どもたちへの平和教育にもっと力を入れてほしい」と願う。
斉藤さんら有志は7年前、考える会を立ち上げ、条例への市民理解を促し、より生かす方策を探っている。近年はコロナ禍で活動しにくかったが、今夏、久しぶりに集会を開くことができた。
ロシアのウクライナ侵攻で世界の平和秩序が揺らぎ、核軍拡が再び始まる不安が広がる。だからこそ「条例の意義、価値は大きい」と斉藤さん。「自由で平和な世の中を子どもたちに残すのが大人の責任。武器では平和は得られない」との思いを強くしている。