昨年12月のある朝、苫小牧市内の50代男性は喉に痛みを感じた。唾を飲み込むとちょっと痛い程度。せきや発熱はない。普段から年に数回、喉に痛みが出るため、「またか」と思って仕事に出た。
しかし、話をするとたんが絡み、職場で「声が違う」と指摘を受けた。仕事を中抜けしてかかりつけ医を受診したが、医師からは「喉が赤いね。いつもの薬を出すよ」。それで安心したが深夜、自宅で体調を崩した。
急に寒気がし始め、検温すると37・7度。病院でもらった薬も効く様子はない。「おかしいな」と疑問を抱きながら何とか寝て、朝を待つと、熱は36度台。風邪症状もなく、「仕事に行ける」と思った。
しかし、新型コロナウイルス感染が拡大していた時期。日頃からマスク着用など対策を徹底していたが、「念のために」と職場やかかりつけ医に症状を伝えると、市内で検査を受けられることになった。結果は陽性。保健所が行動歴を調べたが、感染経路は不明。家族や同僚らも検査を受けたが陰性だった。
男性は「軽症者」に分類されたが、高血圧症の基礎疾患があった。本来なら入院するケースで、保健所から「ベッドを探しているので自宅で待機して」と伝えられた。両親、妻と4人暮らしだったがすぐに「疎開」し、自宅で一人療養することに。食事は妻が使い捨て容器に入れ、3食ごと玄関先に届けてくれた。
感染判明2日目。症状が急速に悪化した。せきが激しく、止まらなくなり、頭は重たい。胸も車酔いしたような状態。味覚や嗅覚に異常はなかったが食事も取れなくなり、「これからどんな症状が出るのか」。先が見えない不安に襲われた。
感染判明から3日目の夕方にようやく、保健所が手配したマイクロバスで、札幌市のホテル療養施設に入った。風呂やトイレ、洗面所、テレビなどが完備されたシングルルーム。食事を別室に取りに行く時以外は外出を禁止された。
朝夜の1日2回、自分で体温と血中酸素飽和度を測り、電話で看護師に伝える。看護師からは電話のたびに「胸は苦しくないか」「唇の色が紫になっていないか」などと聞かれた。それらの症状はなかったが、たんに血が混じるようになり「本当にまずいのでは」と考えた。ホテルには何度か救急車も往来していた。
食事は基本的に、コンビニエンスストアで売られているような幕の内弁当。朝にサンドイッチ、昼はカツカレーが出たこともある。ご飯は冷えており、電子レンジもなく、「とてもじゃないが食べられない」。症状が出ている間は食欲もなく、自宅から持参したチョコレートで栄養を取った。
感染判明から1週間ぐらいで、体調は徐々に回復。経過観察期間を経てホテル療養は終了した。以後は行動制限がなくなり、職場復帰の許可も下り、むしろ「本当に大丈夫か」と思ったほど。ただ、食事をほぼ取れなかった影響でなかなか体力が戻らず、歯磨き一つするにも体はだるく、引き続き約1週間仕事を休んだ結果、症状は収まって体調も元通りになった。
「自宅も、ホテルも結局は一人。治療薬もなく、自分の力で治すしかなかった。症状が悪化したときは不安だった」。男性はそう振り返る。幸いにも後遺症はなかったが「どんな症状が出るのか千差万別。自分はラッキーだっただけ。風邪やインフルエンザなどとは全然違う。生まれて初めての体験だった。『コロナなんて大丈夫』などと思わないでほしい」と訴えた。