中学校を卒業し、15歳で家大工の棟梁(とうりょう)に弟子入り。以降約70年間、家づくりに携わってきた。経営を支えてくれる地域への感謝を込め、さまざまな奉仕活動にも注力。「元は縁のなかった苫小牧で今日まで仕事を続けることができ、とてもありがたい」と話す。
雨竜郡多度志村(現・空知管内深川市多度志町)で、農家を営む家庭の3男として生まれた。同村の中学校を卒業した1956年春、親の勧めで同管内妹背牛町で大工を営む叔父に住み込みで弟子入りした。
地元でも腕のいい大工として評判の叔父は、家では優しかったが現場ではとても厳しく、一度教わったことを再度聞くと叱られた。仕事は見て会得するしかなく、文字通り「体で覚える」日々を5年間過ごした。
その後、同管内沼田町に転居していた実家に戻り、家大工として独り立ち。同町や近隣の町で仕事をしながら26歳で結婚。地元の建築会社に就職し、職人としての技術に加えて資材の仕入れや工事費の算出など、建築会社経営の知識と経験を積んだ。
31歳の時、親戚を通じて苫小牧に住む人から「大企業が進出し、開発が進んでいる苫小牧では今、住宅の建築ラッシュ。仕事がいくらでもあるので、すぐに来た方がいい」と知らされ、苫小牧に転居。縁もゆかりもない土地だったが、移住翌年の72年、岡部工務店を創業。76年4月に法人化し、糸井に株式会社岡部工務店を設立した。
仕事のモットーは「仕事が営業」。「いい仕事をしたら、お客さんが周りの人に『あそこは良かったよ』と伝えてくれる。あえてこちらから営業をしなくても、評判になるような仕事をすれば次につながる」と信じ、丁寧な仕事を心掛けた。建築技術を学ぶため、カナダやデンマークにもたびたび訪れ、日本とは異なる住文化に感銘を受け、苫小牧での家づくりに生かした。
毎年1回は建て主の元を訪れて不具合などが起きていないか、生活で不便を感じていないかなどを確認する訪問活動も続けてきた。「家が完成したら終わりではなく、そのあとも末永く頼りにしてもらえるような存在でいよう」と考え、手掛けた住宅ごとに図面や使った資材などの情報をファイルにまとめ、建て主からの相談に活用してきた。
仕事の傍ら、地域の奉仕活動にも精を出した。特にハスカップライオンズクラブには91年の設立当初から開設メンバーとして関わり、会長職も2度務めた。ライオンズクラブの仲間・加藤孝治さんと出会い、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の酒造を支援する「酔仙酒造&陸前高田市を応援する会」を共に立ち上げた。市内や近郊で生まれた子どもに椅子をプレゼントする市民団体「ハスカップ青春のつどい」をバックアップするため、木材の取り扱い企業から寄贈を集める「木材バンク」の活動にも取り組んでいる。
昨年、社長職から会長職に就いたが、「仕事は今までと何も変わらず、お客さんから『ちょっと家を見てほしい』という相談に対応している」と話す。「これからも地域に関わりながら、自分が建てた建物を見守っていきたい」と力を込める。
(姉歯百合子)
◇◆ プロフィル ◇◆
岡部 喜代司(おかべ・きよし) 1940年10月生まれ。ボーリングや野球、旅行、絵画鑑賞などさまざまな趣味を持つ。苫小牧市日吉町在住。