チャレンジ精神でまちの盛り上げ役に 電波や絆で仲間とつながる ぱん工房むぎ麦代表・ FMとまこまい市民パーソナリティー 石見 勝政さん(47)

  • 時代を生きて, 特集
  • 2024年8月31日
パン職人とラジオパーソナリティーふたつの顔を持つ石見さん
パン職人とラジオパーソナリティーふたつの顔を持つ石見さん
専門学校時代に英語で過ごす行事に参加しコミュニケーション能力を磨いた(中央)=1996年夏ごろ
専門学校時代に英語で過ごす行事に参加しコミュニケーション能力を磨いた(中央)=1996年夏ごろ
上京して初めてのゴールデンウイークに配属前の同期と奥多摩の河原でバーベキューを楽しんだ(前列左)=1997年5月
上京して初めてのゴールデンウイークに配属前の同期と奥多摩の河原でバーベキューを楽しんだ(前列左)=1997年5月
FMとまこまいの市民パーソナリティーとして番組「パン君のむぎゅっとRadio」を担当
FMとまこまいの市民パーソナリティーとして番組「パン君のむぎゅっとRadio」を担当

  自らを”パン君”と名乗り、ぱん工房を営む傍ら苫小牧のラジオ局「FMとまこまい」で市民パーソナリティーの顔も持つ。「人を介して町を活性化させたい」との強い思いがある。たくさんの人に救われた人生だから、この町で同じ思いを抱く仲間と電波や絆でつながる。

   「FMとまこまい」での番組「パン君のむぎゅっとRadio」ではライター、アーティスト、飲食店経営者など多彩なゲストとテンポ良くトークを繰り広げる。英会話で培った話術で、ゲストの魅力を引き出しリスナーに伝える。ラジオが大好きだったこともあり「やりがいがある。個人ができる地域貢献だと思っている」と語る。

   中学時代から得意だった英語力を高めようと、高校卒業後は札幌の英語専門学校に進学。大通公園で留学生と触れ合いながらコミュニケーション力を磨いた。そのかいがあってか、初対面の人の心に飛び込んでいける度胸を身に付けた。

   その後、1997年からは東京でシステムエンジニアとして働き、JRの運行ダイヤや防衛省関連のハードウエア開発に携わった。ただ、都会暮らしは性に合わず体調を崩して帰郷。99年から再びコンピューター関連会社で勤務したが、納期に追われ寝る間もない日々。思い描いた人生ではなく「もやもやしていた」と当時を振り返る。

   その一方で、趣味のビリヤードを通じて妻の妙香さん(44)と出会い、結婚を意識し始めた時期。「家族の側に長く一緒にいたい」とプログラマー生活に見切りを付けた。元来、自炊はお手の物で、以前から食と”ものづくり”に興味があった。たまたま見つけた製パンの求人に、ちゅうちょなく応募。25歳の遅い修業をスタートさせた。

   5年ほどたった頃、周囲の仲間が次々に独立。同じ場所にとどまる自分の将来に疑問を抱き「意識が変わった」。独立を目指し、パンの道を究めようと理論と技術をさらに高め、個人店や同業他社でも働いた。市内パン店で統括チーフも務め、催事でメロンパンの実演販売も経験。トレンドや顧客のニーズも吸収した。

   パン職人となって15年を経て、起業の活路を模索しながら2017年から異業種交流会に参加。自己紹介で”パン屋で独立”を宣言したところ、多くの人からアドバイスを受けた。「輝いている人との出会いに背中を押された」と19年に独立、市内でぱん工房むぎ麦を開店させた。ラジオ番組でゲストの魅力を発信するのは「自分を後押ししてくれた人への恩返し」とも考えている。

   子どもの頃、教員を志したこともあり今年は北洋大学で講師にもトライ。「形は違えど子どもの頃の夢をかなえた」と目を輝かせる。「よく落ち着きがないといわれたが、好きなことにはのめり込むタイプ」と自分を分析するが、冷静さは見失わない。

   今後は「時代と向き合いながら、思考を柔軟にして自分が住む町を盛り上げるひとりになりたい」。思いは尽きない。

  (藤岡純也)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

  石見 勝政(いわみ・かつまさ) 1977年1月、苫小牧生まれ。97年、札幌市のYMCA国際ビジネス社会体育専門学校英語科卒。2012年5月からフルールブランの勤務を経て19年4月にぱん工房むぎ麦を開店。パン職人歴23年。英検2級。家族は妻と2女。苫小牧市澄川町在住。

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