白老町陣屋町の仙台藩白老元陣屋資料館で23日、企画展「白老の駅逓」の関連行事として展示解説会が行われた。町民11人が参加し、展示史料を観覧しながら北広島市教委学芸員、畠誠さんの講話に聞き入った。
企画展は、明治~昭和の時代に白老に2カ所あった白老と森野(ホロケナシ)の駅逓所の役割などを84点の史料で振り返る内容。会期は8月14日まで。
畠さんは「北海道の駅逓制度と旧島松駅逓所」のテーマで、北広島市に残る国指定史跡「旧島松駅逓所」の役割や歴史について語った。
島松駅逓所の取扱人(運営者)は、道央以北で初となる稲作を寒冷地に強いイネの赤毛種で成功させた中山久蔵(1828年~1919年)。1853(嘉永6)年に26歳で仙台藩士片倉英馬に随行し、北海道に渡った。仙台藩が蝦夷地警護を目的に構築した白老陣屋と仙台をたびたび往復しており、白老町にもゆかりのある人物として伝えた。
島松駅逓所は、中山が赤毛米の水田試作に成功し、札幌本道(函館―札幌間223・8キロ)が開通した73(明治6)年、本道沿いに設置されたことを説明。始まりは現在の恵庭市島松沢近くに設置された旅人止宿所で、札幌農学校(現北海道大学)教頭のクラークが「青年よ大志を抱け」の名言を残した場所としても知られていると紹介した。
畠さんは「中山が成功した赤毛種の作付けに関心を持ち、島松駅逓所には旅人以外に、多くの学識者が集まった」と解説。中山は交流の盛んだった往時がしのばれる手紙や書類を残しており「白老駅逓所も火災で焼失しなければ、重要な史料が残っていたかもしれない」と語った。町民は終始熱心に耳を傾けていた。