大役抜てき 「いい思い出」 64年東京五輪聖火リレー 副走者 渡部徹夫さん 千歳

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  • 2019年11月28日
着用したユニフォームを手に、当時を振り返る渡部さん
着用したユニフォームを手に、当時を振り返る渡部さん
聖火リレーで副走者として千歳を駆け抜ける。黒縁の眼鏡が渡部さん(提供)
聖火リレーで副走者として千歳を駆け抜ける。黒縁の眼鏡が渡部さん(提供)

  1964年9月10日、東京オリンピックの聖火リレーが千歳市内を通過した。当時、副走者として聖火を手に走った人がいる。千歳市桜木の渡部徹夫さん(73)。トーチを掲げた走者と一緒に約2キロの区間を力走し、恵庭市のランナーにつなぐ場に居合わせた。「2カ月間、走る練習をした。若い頃のいい思い出です」と振り返る。64年に身に着け、大切に保管してきたユニホームを手に、来年の2020東京五輪・パラリンピックの開催も心待ちにする。

   1963年に市役所入りし、翌年に副走者を務めた時は19歳だった。64年夏に上司から「随走者になって走るんだ」と指名された。「若かったから選ばれたんでしょうね」。渡部さんは、そう述懐する。

   走者はトーチを持つ正走者、予備のトーチを持つ副走者2人のほか、複数の随走者がいた。渡部さんは当初、随走者の要員だったが、辞退者が出たことで副走者に抜てきされた。

   その後、同じく市役所から選出された走者4人と勤務終了後に、市役所から青葉公園内の陸上競技場まで片道2キロ、往復4キロを走って鍛錬した。「きつかった。高校時代はマンドリン部。スポーツ経験はなかったしね」と苦笑い。走者が足をそろえて走る要領にも気を使った。

   市内ではほかに、自衛官や中高生が走者に決定していた。千歳は5区間に分けられ、市庁舎を出発して市街地を巡るルートが決定。渡部さんが走ったのは最終の5区。現在の千歳市消防署西出張所付近で聖火を受け取り、国道36号を走って恵庭市との境界で恵庭の走者につなぐ重責を担った。

   ギリシャ・オリンピアの神殿で採火された聖火は64年9月9日、空輸で千歳空港に到着した。一夜明けて聖火リレーの当日、日の丸があしらわれたユニホームを着て、渡部さんは緊張していた。沿道にはリレーを一目見ようと、日章旗を手に、歓声を上げて応援する大勢の人たちがいた。

   午前10時50分ごろ。火がともったトーチを高らかと掲げた4区のランナーの姿が見え、「いよいよだ」と気を引き締めた。トーチを引き継いだ正走者の後に続いて走りだした渡部さんは予備トーチを持つもう一方の副走者と横一列の走りを見せ、大きな声援の中を駆け抜けた。

   途中、トーチから不審な煙が出ることが緊張感を高めた。「もう一人の副走者と『大丈夫か』と。消えたらどうしようという不安がありましたよ」。聖火を無事恵庭のランナーに引き継いだ。「ほっとしたので、疲れは感じませんでした」。大役を務めた安堵(あんど)感は大きかった。

   64年10月10日、東京国立競技場に入った走者、坂井義則氏が7万2000人の大観衆の中、聖火台に点火する模様もテレビの前で見守った。「われわれが運んだ聖火があそこまで行った―という思い。感慨深かったです。自分も一緒に走ったんですから」と回顧し、目を細めた。

   56年の時を経て、再び開催される東京五輪はマラソンと競歩の札幌開催が決定するという異例の展開を迎えた。渡部さんにとっても青天のへきれき。「再び日本で五輪があるなんて。自分が生きているうちはないと思っていました」

   2020東京五輪の聖火ランナーにも応募し、結果を待っている。「生きている間に2度も聖火リレーに関われることはなかなかない。もし走れるなら生涯の思い出。でもそのためには健康でいないとね」。期待に胸を膨らませる。

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