1974年のオランダ・ハーグの仏大使館占拠事件で有罪判決を受けた国際テロ組織「日本赤軍」の重信房子元最高幹部(76)が28日、懲役20年の刑期を満了し、収容されていた東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)から出所した。
午前8時前、黒い帽子と白いマスクを身に着け、長女や弁護士と共に車で同センターを出発。待ち受ける数十人の支援者に窓から手を振った。近くの公園に移動すると、立ったまま報道陣の取材に約8分間はっきりとした口調で応じ、「闘いの中で無辜(むこ)の人たちに被害を与えた。おわびします」などと話した。
出所に際し、「再出発にあたって」と題した直筆の文書も発表。自身や日本赤軍の活動による被害者への謝罪とともに、武装闘争路線を「間違っていた」と記した。服役中、闘病を続けており、今後について「まずもって、治療と、リハビリに専念」とつづった。
共産主義者同盟赤軍派の活動家だった重信元最高幹部は年、革命のための拠点建設を目指しレバノンに出国。70~80年代に世界各地でテロ事件を相次いで起こした日本赤軍を率いた。
国際手配されていた2000年11月、大阪府内で潜伏中に逮捕されると、翌年に日本赤軍の「解散」を宣言。公判では無罪を主張したが、10年に懲役20年の有罪判決が確定した。がんを患い同センターに収容されていた。