平取アイヌ遺骨を考える会共同代表 木村二三夫さん(71) 遺骨の尊厳守って 慰霊施設への集約に憤り

  • アイヌ民族 ウポポイを思う, 特集
  • 2020年5月12日

  「遺骨の尊厳を守ることは、今を生きるアイヌの尊厳を守ること。遺骨問題はアイヌの根幹」―。北海道大学などが研究目的で保管していた先祖の遺骨を、地元の土に返そうと活動してきた。返還申請のない遺骨がアイヌ文化復興拠点・民族共生象徴空間(ウポポイ)の慰霊施設に集められる現状に「人道上、おかしい。同胞がさまよい続けている」。怒りがほとばしる。

   生まれた時から平取町貫気別で過ごしてきた。アイヌへの差別や偏見などを感じ続け、それが無くならないことには諦めにも似た感情を抱いていた。「シャモ(日本人)の文化で生きる」との思いから、アイヌ文化にあえて踏み込んで関わろうとはしなかった。

   転機は2015年、浦河町から平取町への帰り道。新冠町の姉去で「土人学校跡」の石碑を目にした。偶然の遭遇だったが「カンナカムイ(雷)に打たれたようなショック」を受けた。先人が「お前、何かしなければ駄目だ」と訴えたような気がした。アイヌであることに目覚めた瞬間だった。

   木村家は1920年代に姉去から貫気別に移った。明治政府が1899年に旧土人保護法を制定し、アイヌを土人と呼んで土地を与えたが、「アイヌモシリ(北海道)を略奪し、植民地化して、すべてを奪った」。約70世帯、約350人が貫気別に「強制移住させられた」と資料から歴史をひもとく。「天国のような場所から奥地に移住させられた。生きるすべのないアイヌもいた」。想像するだけで声が詰まる。

   副会長を務める平取アイヌ協会で、先祖供養の慰霊祭を執り行うように。2016年には有志30人で、平取アイヌ遺骨を考える会を立ち上げた。アイヌ文化を子どもや孫の世代に伝えようと絵本も発刊。「先祖たちのために何かしなければ」との思いが体を突き動かした。

   かつて道内各地から、研究目的で掘り起こされ、持ち出されたアイヌの遺骨に心を痛め、北大などから各地に取り戻そうと活動を続ける。「遺骨は提供したわけではない。あるべき場所に戻すことが当たり前」と訴え、「『ウポポイで慰霊すればいい』との意見もあるが、骨になってからも強制移住をさせるなんて」と憤る。

   ウポポイに対しても自然と否定的な感情を抱かざるを得ない。「『アイヌ民族のため』と言うなら、もっと違うお金の使い方もあったはず。高齢者の年金や若者の修学資金とか。アイヌは強制移住のスタートラインで差を付けられたのだから」。国がアイヌを先住民族として認めたのであれば、その権利についてもしっかり考えてほしいと願う。

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