高校を卒業した1969年、お酒を扱う卸会社(当時の北酒連)に入社。この頃は冠婚葬祭に必ず酒類が提供される時代で、「食べることには困らないだろうと考えてのことだった。仕事はきつかったけれども楽しかった」と振り返る。
全道各地に支店があることから、定期的な転勤も多く、地域密着型の同業他社との競争には苦労した。そのおかげで人と接することが好きになった。
歴史のある街と新しい街では売れるものが全く違う。長い歴史を持つ土地では、良いお酒や日本酒が売れる。若い人が多い街ではビールや発泡酒、ウイスキーが売れる。街の感じやお店の雰囲気で売り込む商品を見極める経験は営業面でプラスになった。「ぴったりはまる提案ができるとガッツポーズしたものです」と笑う。
コンビニエンスストアの台頭や大手スーパーマーケットの進出が目立ってきた1980年代になると、個人経営の商店が激減。「私たち営業員のスタイルも大きく変わり、こつこつ取引先を訪問する御用聞き型営業から、商品の特性をつかみ、それに合った販売先に売り方手法などを提案する」形に変化した。
手書きの伝票からPC入力へと業務を取り巻く環境も激変。この頃に身に付けた知識や技術、経験がいま役立っている、という。
根室を振り出しに、苫小牧、浦河、苫小牧、室蘭と勤務。根室時代に由美子さんと結婚。40代後半に病気で入退院を繰り返したこともあって「苦労を掛けた」。それでも二人三脚で3人の娘を育てた。
1回目の苫小牧勤務の時には自宅を構えた。室蘭支店の支店長で定年を迎え、その後取引先で1年半勤めて苫小牧に戻った。
現在は苫小牧地域職業訓練センター運営協会に勤務して13年目。たまたま、同センターのスキルアップセンターが選挙の投票所で、投票した時に就職支援をしていることを知り、相談したことが縁で就職。氷河期世代の就職応援事業で職業訓練、企業開拓、就職支援業務などに就いている。
企業が求める人材と求職者のマッチングに、酒類卸売業時代の経験が生きている。年齢制限のある求人に、企業が求めている人材と思って、制限を超えている年齢の求職者を提案したこともあった。それでも就職につながり後日、「センターが就職のために尽力してくれた」と感謝された。
企業からの信頼も得て、依頼が続いた。(求職者の)センターでの様子を見て、どの企業やどの仕事が向いているのかを提案するのは、前職での管理職の経験が役立っている。時々、顔を出してくれる人もいて、やはりうれしい。「必要とされているうちは働いていきたい」
シュレン国分(旧北酒連)時代の行動指針に「たとえ利益を生むことであっても、見かけ商いをいたしません」というのがあり、今も心に残っている。人と人とのつながりを大切にしていきたいと考えている。(今成佳恵)
◇◆ プロフィル ◇◆
村上秀登志(むらかみ・ひでとし) 1950(昭和25)年5月26日生まれ。十勝管内豊頃町出身。69年4月株式会社北酒連(のちにシュレン国分、現・国分北海道)に就職。2010年、室蘭支店の支店長で定年退職。その後、室蘭市内の食料品店本部に勤務し11年9月退職。12年4月から苫小牧地域職業訓練センター運営協会勤務。苫小牧市新開町在住。