ただ手を合わせているだけなのだが、この2年ほど、毎日朝に小さな仏壇に灯明をあげ、線香を供えて合掌するのが習慣になっている。
分家育ち。家に仏壇はなく、経どころか線香の火のつけ方や消し方、立てるか寝かせるか、それは一本のままか折るか、鈴は何度打つかなど、まったく知らず、いまだ我流のまま。位牌(いはい)は母のものだけだが義父母らの写真も置き名前を心の中で呼んで手を合わせる。呼ぶ順序は、不公平のないよう、右から左からと毎日のように変えるのが自分でもおかしい。
どんな仕組みになっているのか、亡くなった人の姿形よりも声や言葉の方が長く記憶に残っている。40年ほど前に他界した義母や、妻を亡くして一人で暮らし、病に倒れた義父に呼ばれた時の言葉や声を、今もはっきり思い出せる。見舞いの孫の手を握って「ありがとうね」と繰り返した母の2年前の小さな声も1分ほどの「勤行のようなもの」の時間に時々聞こえる。
年賀欠礼のはがきが、今年はやや少ない。年少の元同僚は2年続けて親を亡くしたようだ。大変だったろう。配偶者を亡くした人、きょうだいを亡くした人からのものが最も多かった。子どもを先に送った人からのものも1枚。つらさを想像する。新型コロナウイルスは葬式も変え、感染防止のため通夜や告別式を随時とする式が登場した。身内で送る葬儀も従来より増えたようだ。寂しいお別れの多かった一年かもしれない。(水)