苫小牧カーリング協会副会長 大石 和美さん(74) 遊びが原点 アイデア形に カーリング、宮沢賢治… 苫小牧の知られざる魅力発信

  • 時代を生きて, 特集
  • 2024年1月20日
「苫小牧の知られざる宝、忘れ去りそうな文化を伝えたい」と話す大石さん
「苫小牧の知られざる宝、忘れ去りそうな文化を伝えたい」と話す大石さん
ハイランドスポーツセンターでカーリングを楽しむ大石さん=84年ごろ
ハイランドスポーツセンターでカーリングを楽しむ大石さん=84年ごろ
高校時代、休み時間に友人と談笑する大石さん(中央)=67年ごろ
高校時代、休み時間に友人と談笑する大石さん(中央)=67年ごろ
2歳の時、自宅で過ごす大石さん=51年
2歳の時、自宅で過ごす大石さん=51年

  遊びを原点にして、自分や周囲が楽しめることをしようと、数々のアイデアを実現させてきた。苫小牧が道内発祥というカーリングや詩人の宮沢賢治が100年前に苫小牧を訪れたこと、明治時代に苫小牧で製造されていたマッチなどに着目。これらを広く発信しようと、体験会やウオーキング、アート展といった企画を展開してきた。

   1949年5月、幌加内村(現・上川管内幌加内町)で生まれ、2歳の時、室蘭市に引っ越した。当時、市内はにぎやかで常設のサーカス小屋や百貨店を見た記憶がある。小学1年生の時、鵡川町(現・むかわ町)へ移り、海外に興味を持つ多感な少年時代を過ごした。中学2年の時、病気により札幌の北大病院に1カ月入院し、医師から運動をしないよう言われた。

   高校は苫小牧東高に入学。ホームルームで友人とバンドを組んで曲を披露したり、学校祭で海外から集めたポスターを展示した。研究発表会でニュース番組風に発表を試みるなど、何か面白いことをしようと考えていた。

   卒業後、デザイン関係の企業や新聞社に勤務。83年、白老町で仕事をしていた際に、ポロト湖でカーリングに出合った。少年時代から運動は控えていたが、「駆け引きや緻密さが求められる」ことに魅力を感じた。同年、同町での講習会に参加した時には元世界チャンピオンのウオーリー・ウースリアク氏から指導を受けた。

   カーリングは、50年代後半、苫小牧のアイスホッケーチームがカナダに遠征した際、ストーンとブルーム(ブラシ)を持ち帰り、冬期間にウトナイ湖でプレーしたことが道内発祥とされるゆえんだ。ただ、88年に常呂町(現北見市)で室内カーリング場ができるなど盛んになったが、苫小牧では逆に下火になってしまったという。

   「カーリングの道内発祥の地である苫小牧で火を消したくない」との思いが強くなり、市内で大会を開催したり、市民の講習会も企画した。地道な活動を続ける中、冬季五輪で日本代表チームがメダルを獲得するなど活躍。それを機にカーリングへの熱も高まった。全国から高校生や企業関係者が旅行で市内を訪れた際、スケートリンクでカーリング体験を楽しむ機会も増えた。

   課題は指導者の高齢化。市内の中高生の体験も少なく、「どうやって地元の子どもに体験してもらい、普及させるかを考えないといけない」と話す。

   まちづくりにも関心を寄せ、94年に「苫小牧の街づくりを考える会ゆうべあ」を立ち上げた。公開講座や宮沢賢治展、北のマッチアート展などを展開。2009年のNPO法人化から18年に解散するまで活動を続けた。

   今も個人で苫小牧の知られざる魅力を伝えている。「今年は5月に賢治の世界アート展を開く。苫小牧市民文芸に原稿を出稿もしたい」とまだまだ意欲はおう盛だ。

 (室谷実)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

  大石和美(おおいし・かずみ) 1949年5月30日、幌加内村(現・上川管内幌加内町)で生まれる。83年にカーリングを始め、苫小牧市内で普及活動に尽力する。宮沢賢治やマッチなど、苫小牧ゆかりの文化や魅力の発信を続ける。苫小牧市豊川町在住。

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