火垂るの墓

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  • 2024年8月15日
火垂るの墓

  その人は終戦の年、中学3年だった。神戸で空襲に遭った。神戸市立第一中学校に在学していた。6月5日に焼け出され、3日後に西宮市の遠縁の家に身を寄せた。大八車を借りて、焼け跡から庭に埋めた食料などを掘り起こし、川にたどり着いた時、既に日が暮れていた。その流れる小川のせせらぎと、おびただしいホタルの群れに、生きているという実感が強く迫ったという。その後、彼の幼い妹は栄養失調で亡くなった。戦後、その人は「焼け跡闇市逃亡派」を名乗った。

   9年前に亡くなった野坂昭如さんの直木賞受賞作「火垂(ほた)るの墓」(新潮文庫)を読み直した。終戦から間もない9月21日、三宮駅の構内で栄養失調のために死んだ清太と、その妹・節子の死までを独特の文体で描かれる。母の死後、遠い親戚の家に厄介になるが、冷たくあしらわれ、近くの防空壕(ごう)をすみかに、幼い妹と二人で懸命に生きる。駅構内で死んだ清太の腹巻きの中から小さなドロップの缶が発見され、それを駅員が放り投げると、缶の中から小さい骨のかけらが転げだす。妹の白い骨だった。

   自伝的な作品で後にアニメ化され、野坂さんのメッセージが多くの人の心を揺さぶった。きょうは終戦記念日。あの悲惨な敗戦から79年目の夏が行く。(広)

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