14年間の横浜市勤務を経て久々に帰ってきた第二のふるさと苫小牧は、見違えるように変貌を遂げていた。閑散としていた母校駒大苫小牧高校(美園町)周辺に住宅が立ち並び、中心街は多くの市民でにぎわう。「活気にあふれていた」と懐古する。
両親は平取町で農家を営んでいた。7人きょうだいの6番目で「心配されるくらいわんぱくだった」と笑う。高校時代は陸上部に所属する傍ら空手道場にも通っていたが、やりたいスポーツは別にあった。ボクシングだ。
門別町(現日高町)生まれのプロボクサーでWBA・WBC統一世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)元王者の沼田義明氏(78)。四つ上の偉人に憧れた。ひとまず就職の道を選び郵便局員となったが、初任地はボクシングが盛んな関東圏を志願した。
横浜市内の郵便局で勤務。ボクシングジムに通い始めるとあっという間にプロ資格を取った。身長167センチと小柄ながら「パンチ力には自信があった」とデビューから3戦3勝も、椎間板ヘルニアを発症し手術。現役生活はくしくも短命に終わった。
その後は郵便業に専念。横浜市内で先行して導入が始まったキャッシュカードの普及に尽力した。その実績を買われ、1982年に苫小牧緑町郵便局へ転勤し日吉、本町、旭町、錦岡と市内各局で窓口業務に従事した。
98年に桜木郵便局の局長に就任。「郵便局は地域の人が居てはじめて成り立つ。地域と共に歩むことが大切」と局内の一角に情報コーナーを設置し地域イベントや学校行事の告知、サークル活動の発表場所として開放した。
原点は配達業務を担った横浜時代にあった。郵便はポスト投函が原則だったが、「配達先に人が居るときは必ず手渡しした」。ささいな気遣いから生まれる縁がたくさんあった。「今度の担当さんは手渡ししてくれるんだね」。地域に寄り添う大切さを身に染みて感じていた。
局長時代に郵政民営化を迎えたが、地域密着の姿勢で得たつながりが不安を払拭(ふっしょく)させてくれた。「頑張れば頑張るだけ認めてもらえる環境になった。より意欲が湧いた」と言う。
10年前に脳梗塞を発症し退職。後遺症は残ったが、支えになったのは妻のさつさんだった。「私も一緒にやるから、パークゴルフやってみたら」。横浜時代から自身の健康を気遣ってくれた愛妻は、夢中になれる新たなスポーツに出合わせてくれた。
さつさんは昨年9月に72歳で先立った。「いろんな人の支えや助けがあって、きょうまでこれた。好きなことを存分にさせてくれた妻には本当に感謝。亡くなる直前まで自分のことを気遣ってくれた」。だからこそ「長く健康に生きることが妻への供養」と涙を拭い、再びファイティングポーズを取った。
(北畠授)
◇◆ プロフィル ◇◆
黒川 隆敏(くろかわ たかとし) 1949(昭和24)年4月、平取町生まれ。駒大苫小牧高卒業後に郵便局(現苫小牧日本郵政グループ)へ就職し、横浜市や苫小牧市の各郵便局に勤務。98(平成10)~2014(同26)年に苫小牧桜木郵便局の局長を務め、地域密着の開かれた局づくりに尽力した。退職後はパークゴルフや社交ダンスなどを通じて健康維持に励んでいる。苫小牧市澄川町在住。