宇宙少年団苫小牧支部副団長 細川 正直さん(75) 工作の楽しさ教え続け半世紀 発想力で面白い作品次々と「笑顔見たくて」

  • 時代を生きて, 特集
  • 2023年7月29日
1980年の苫小牧スケート国体時に作った「スケート人形」などを手にする細川さん
1980年の苫小牧スケート国体時に作った「スケート人形」などを手にする細川さん
市科学センターで館長を務めたころの細川さん。目玉の展示 旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」(奥)の貴重さも伝えた
市科学センターで館長を務めたころの細川さん。目玉の展示 旧ソ連の宇宙ステーション「ミール」(奥)の貴重さも伝えた
趣味が高じて集めたオールドカメラの紹介講座を開く細川さん(左)
趣味が高じて集めたオールドカメラの紹介講座を開く細川さん(左)
青少年センター(当時)で開いた「工作クラブ」の教え子たちと細川さん(右奥)
青少年センター(当時)で開いた「工作クラブ」の教え子たちと細川さん(右奥)

  苫小牧市青少年センター(現市科学センター)の開館と同時に市役所入りし、38年間小中学生向けの工作指導や展示品の製作に精を出した。2006年から2年間は同館の館長を経験。現在も日本宇宙少年団(YAC)苫小牧支部の副分団長として、子どもたちに工作の面白さを伝え続けている。

   太平洋戦争の終戦から2年半、市制施行を目前に控えた1948年1月に苫小牧町(当時)で生まれた。苫小牧工業高校を卒業後、70年6月に業務係として同センターの仕事に就いた。機械科出身で、木工や金工の専門技術を買われての採用だった。「1月に開館したばかりのセンターには工作機械がそろっていたけれど、使える人が誰もいなかった。入った時は機械が梱包(こんぽう)されたままだった」と笑う。

   当初の仕事は土日に開かれる「工作クラブ」の講座担当。小中学生に得意の木工技術を生かして、竹とんぼや竹馬の作り方を教えた。「自分で汗水たらして作れば愛着も湧く。工作の楽しさを体験してほしかった」と話す。当時の竹馬を、今も大切に保管している教え子もいるという。

   80年に苫小牧で開かれたスケート国体では、来てくれる人に苫小牧のお土産をプレゼントしようと、高さ20センチほどの木製の「アイスホッケー人形」を考案。計300個ほど作り、各県の関係者やアイスホッケーチームに配った。新聞にも取り上げられ「ある県では県庁に飾ってあるなんていう話も聞いた。苫小牧がアイスホッケーの街だということを伝えるのに一役買えた」と振り返る。

   展示品の製作や修理の仕事でも、得意の発想力と技術力で面白い作品を次々と生み出した。「修理をすると内部の構造が分かってきて、自分でも作れるようになってくる。買ったら数百万円になる物も自分で作ってしまえば安くなる」と、年に1、2個は新作の展示品を製作。時には山に不法投棄された機械の部品をもらいに行くほどのめり込み、本物と同じ原理で走るリニアモーターカーの模型や、目の錯覚を利用し背の高い人を低く見せる「エイムズの部屋」などを作って人気を呼んだ。

   退職後はセンターでの経験を請われ、2011年から14年まで北翔大学(江別市)の非常勤講師も務めた。学芸員を目指す大学生に、資料や作品の展示方法などを教えた。「まさか自分が大学の講師なんてやるとは思わなかった」と謙遜しながらも、恩返ししたいという気持ちが強かったという。

   今もYAC副分団長として団員の幼稚園児から大学生までに、年に数回工作教室を開く。テーマも毎年変え、「H3ロケット」の図面が発表された際はさっそく組み木パズルの題材にした。誰でも楽しめるようにと、1カ月ほど前から試作品を作って準備する。「子どもの笑顔を見ることが一番」。「なぜ」「どうして」の気持ちを忘れず、工作の楽しさを教える細川さんの情熱は、まだまだ止まりそうにない。

  (中田大貴)

  ◇◆ プロフィル ◇◆

   細川 正直(ほそかわ・まさなお) 1948(昭和23)年1月、苫小牧市生まれ。趣味はオールドカメラの収集や自宅の造園など。特にカメラは趣味が高じ、センターの「ふるさと文化セミナー」で講演するほど。スポーツも好きで、退職までアイスホッケー「市教育委員会」チームに所属した。苫小牧市明野新町在住。

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