苫小牧東部地域(苫東)の静川地区に広がる、火山灰が積もった大地に静川遺跡はある。1980年の石油備蓄施設建設に伴い発掘調査が行われ、その後東西二つのエリアに分かれた広大な遺跡が発見された。縄文時代の竪穴式住居跡や火をたいた跡など生活した跡が130基、土器装身具類など18万点が見つかっている。
東側には環壕(かんごう)と建物跡がある。環壕はV字に掘られた0・8~1・8メートルの深さ、上幅2~3メートル、全長139メートルの溝。建物跡を囲うように巡っていて、炉など生活の痕跡がなかったことから、非日常的な空間だったと考えられる。
西側には多数の住居跡や墓、狩猟用の落とし穴、土器石器などが見つかっていることから、日常的に生活していた場所だと分かる。注目されるのは、139メートルもの溝を金属の道具がない時代に造った、先人たちの力だ。石や木の道具で木を切り倒し、溝を掘り完成させるには数十年にもおよぶ困難な作業だったことが想像できる。縄文時代は文化レベルの低い停滞した時代だと考えられていたが、完成までに費やされた時間やエネルギーは想像をはるかに超えている。
1987年、市内で唯一の国指定史跡に登録された。現地を訪れることはできるが、土がかぶせられ環壕などは見ることはできない。
一般的な発掘現場とは
現地では考古学の専門家3、4人を中心に、作業員の男女20~40人が従事する。記号で区分けされた地面を、刷毛(はけ)や竹べら、小さなスコップ片手に痕跡を探す。かき出された土を一輪車で運び出す作業が、夕方まで続く。苫小牧市美術博物館学芸員岩波連さんは「作業は数カ月から数年続き、役割分担ができチームワークも生まれる」と、発掘の現場の様子を語る。 (通信員 山田みえこ)
【メモ】
1987年1月8日指定
所在地…苫小牧市静川93の7~11
管理者…株式会社苫東
模型展示…苫小牧市美術博物館内特別展示