大切なもの

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年9月23日

  今年の夏は暑くて、いわゆる”北海道らしさ”がなかった。穂別のお店やガソリンスタンドに寄ると、「先生、これじゃ北海道に来たかいがないな」と声を掛けられた。涼を求めて来たわけではないのだが、「ほんとほんと、なんとかしてよ」と答えて笑い合う。自分もこの町に迎え入れてもらいつつあるのかな、とうれしい気持ちになった。「酷暑だからこそ弾む会話」というものもあるのだ。

   ただ、高齢の方々にとっては厳しい夏だった。穂別にはエアコンが設置されていない家もまだまだ多く、家にいるだけで体調を崩して受診する人も大勢いた。その中には「草取りをして3時間も炎天下にいた」などと話す人もおり、医者として決して言ってはいけない言葉が口を突いて出る。

   「どうしてそんなこと、しちゃったんですか?」

   すると、90歳近い高齢の女性がこう言った。

   「だって先生、草ぼうぼうにしとくわけにはいかないっしょ。ほかにやる人もいないし」

   私は慌てて「ごめんなさい」と謝り、「そうですよね、大切な畑だものね。でも、畑も大事だけど自分はもっと大事。休みながらにしましょうね」と説明した。

   「何が自分にとって大切か」は、人によってずいぶん違う。家族が一番という人もいれば、ボランティア活動が何より大事という人もいるだろう。穂別で「お酒は控えましょう」と話したら、「晩酌は生きがいなんだよ。これがなくなったら生きる楽しみがない」と返されたことがある。医者としては「それでもやめてください」と言うべきだろうが、そのときの私は「なるほど。よく分かりました」と深くうなずいてしまった。

   穂別の人たちは、それぞれが「自分にとって大切なもの」をしっかり持っている。そして、他人の「大切なもの」に「それはおかしい」などと口を出すこともない。それこそが個性や多様性を認めるということだ、と感心することも多い。

   さて、私にとっての「大切なもの」はなんだろう。今はもちろん、「医者として穂別で働くこと」だ。「新しい博物館が建設されること」も大切な楽しみだ。ただ、そろそろ仕事以外の何かも始めたい。看護師さんたちが「先生、私たちアイヌ刺しゅうを習ってるの。いっしょにどう?」と誘ってくれたので、そのあたりから始めてみようかな、とも思っている。楽しい秋になりそうだ。

  (むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)

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