ムツゴロウさんにお会いできたことは、わたしの財産の一つである。「どうにか会いたいです!」という、ブルドーザーのように突き進む猪突(ちょとつ)猛進のわたしの希望はかない、中標津のムツ牧場さんを訪れたのは2019年のことだ。
緊張して何を話したか、どんな様子だったかは実のところ覚えていない。多分こんな感じ。
「動物愛護の活動をやり始めました青木です。世の中の犬と猫が幸せになればいいと思いまして! ですからムツゴロウさんに会いたいと! 動物のことを広めるには、ムツゴロウさんの、そうですね。弟子になりたい! そう!わたしが2代目ムツゴロウに!」
ムツゴロウさんは、しばし沈黙し、こう言った。 「さっき会ったばっかりだからねえ」
そこへお嬢さんの手作りのチーズケーキが運ばれてきた。その味がおいしかったことは記憶している。ムツゴロウさんちの犬も、チーズケーキだ!と興奮し、わたしの皿を狙いに来たが、わたしは自分のチーズケーキを死守した。犬はジッとこっちを見ていた。
ムツゴロウを襲名したいと言ったそばから犬にかまう余裕はなかった。その後、ムツゴロウさんは膨大な量の本の山を見せてくれた。そして動物についての質問に一つ一つ答えてくれた(覚えていないが)。わたしと、同行した先輩は深々と頭を下げ、牧場を後にした。
車でしばらく走るとスムーズに息ができるようになってきた。わたしたちは「はあー」と音を立てて息を吐いた。ひどく緊張していたのだ。同じ表情で固まっていた顔を手でほぐした。
先輩は何も言わずに車を走らせ山道を上り、駐車場らしき場所に止めた。そこは開陽台という地球が丸く見える高台の展望台だった。無言で見晴らしのいい場所へと歩き、遠くに目をやると、その日最後の夕陽が消えようとしていた。
もはや2代目だの弟子だのは、どうだってよかった。ムツゴロウという人の存在感は圧倒的で、「わたし、きょうの日は、一生忘れないわ」と、つぶやいていた。「俺も」と先輩は答えて、2人とも無言に戻った。夕陽は沈み切り、暗闇に包まれながら絶対にまたここに来よう、と決めた。
(タレント)