「皆さん、おはようございます。まずこの講義のゴールからお話しますね」
診察室とは違うあいさつを口にして、少しだけ緊張する。北洋大学での夏季集中講義の一コマだ。
今年度から客員教授を務める北洋大学での講義のテーマは、「メディア社会と心」。ネットの発達やスマホの普及で、10年前とは比べものにならないほど多くの情報に囲まれて生きる私たちの心は、どんな影響を受け、どう変化しているか。その中でも、自分らしく考え、きちんと選んだり決めたりしていくためには何が必要か。大学の専任教員だった時代から研究してきた問題を、今年は北海道の大学で学生や聴講の市民たちに話す。
大学の講義が楽しいのは、まだ答えが出ていない課題についても、「これは私の仮説ですが」と言いながら紹介したり、「あなたはどう思いますか」と学生たちに考えを聞いたりできることだ。「教員が正しいとは限らない。教員と学生が対等に自由に話せる場、それが大学です」と講義の冒頭ではいつも伝えることにしている。
医療の現場ではそうはいかない。ほとんどの疾患で診断や治療のガイドラインが定められており、大都市でも小さな村でも原則として医者はそれに従って診療を行う。患者さんがなるべくどこでも同じ質の医療を受けられるように、というのがガイドラインの目的だ。「A病院に行って血液検査を受けたら病気が見つかって手術が必要と言われたが、Bクリニックに行ったら食事療法だけでいいと言われた」というのでは、患者さんは混乱してしまうだろう。長く精神医療の場にいた私はそれ以外の分野のガイドラインの知識は少ないので、本やパソコンで調べながら「標準的な医療」ができるように努めている。
ところが、大学は違う。「講義のガイドライン」などはなく、自分なりの理屈で話を組み立てていけるのだ。こんな楽しいことはない。
受講生のイキイキした顔を見ながら、「決まりがないのもたまにはいいな」と思う。もちろん、診療の場で「今日は高血圧症のガイドラインは無視して、3種類のクスリを1種類だけにしちゃいましょう」というのはやり過ぎだろう。でも、患者さんに「治療の全国的なガイドラインではこうなってますが、あなた自身はどう思いますか?」と聞いてみるくらいはいいかもしれない。
いろいろなことを考えさせてくれる大学の講義。やっぱり私には必要な時間だ。
(むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)