診察室で医者が白衣のポケットからスマホを取り出し、何やら操作。「先生、真面目に診察してよ」と言われそうな場面だ。でも、これはある人たちを診察するのに欠かせないことなのだ。
「ある人たち」とは外国からの技能実習生。農業が盛んな穂別には、常に中国人とベトナム人の若者たちが実習生として来ている。いつもは元気に働いたり学んだりしている彼らだが、健康診断や風邪などで診療所を訪れることもある。
若い彼らはすぐに日本語も身に付け、「去年来ました」という人でも日常会話には問題はない。ただ、「頭痛には波がありますか。それともずっと続く痛みですか」といった微妙なニュアンスはなかなか伝わりにくい。
そんなときに活躍するのが、スマホの外国語翻訳アプリ。今はその精度も上がっており、私は日本語、相手はベトナム語などでほぼ問題なく会話ができるのは驚きだ。
とはいえ、やっぱり声を使った対話もしたい。私は東京にいたとき中国人の患者さんがたくさん来る病院で働いていたので、3年前から中国語を習っている。穂別に来た今もオンラインで授業を受け続けており、中国人の技能実習生とはごく簡単な会話ができる。中国語で「こんにちは。日本にいらして何年ですか?」と話し掛けたときの彼らのうれしそうな顔を見ると、「ああ、勉強してよかったな」と心から思える。
そんなやり取りを見ていた実習生の受け入れ先の農家の男性が、こう言った。「へえ、先生、中国語ができるんだね。今度、ベトナムの子たちも連れてくるから頼むよ」
私は慌てて「ベトナム語はひと言もできません」と答えたが、その男性は「じゃ勉強しといてよ」と笑顔で言って、中国人実習生と帰って行った。
さあ、どうする。私はネットを検索し、「すぐに使えるベトナム語のあいさつ」といったホームページを開く。「えーと、『こんにちは』は『シンチャオ』、『ありがとう』は『カムオン』…」と幾つかを覚えても、その日の夜には忘れてしまうのは年のせいなのか。でも、若いベトナム人実習生が健康診断に来たときにベトナム語で話し掛けたら、彼らはどんな顔をするだろうか、と想像するとなかなか楽しい。
もし、穂別の町で「シンチャオ、カムオン…」とつぶやきながら歩いている人に会ったとしたら、それは私だ。「コーレン!(ベトナム語で『がんばって!』)」と声を掛けて励ましてほしい。
(むかわ町国保穂別診療所副所長、北洋大学客員教授)