アルバイトで学んだこと

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年6月3日

  私は大学時代、数多くのアルバイトをしました。親元を離れての寮生活でしたが、親からの仕送りを抑えていましたので、カロリーをお金に変えないと生活が回っていかなかったからです。

   中高生向けの塾の講師のアルバイトは大学4年間続けましたが、それ以外に、団体旅行の添乗員、リゾートホテルのドアボーイや別荘地の草刈り、新聞配達、寮の排水管掃除、中華料理店、ビニールハウスの骨格作りなどのアルバイトを行いました。さまざまなドラマがあり、さまざまなことを学びました。

   リゾートホテルでのアルバイトは、大学1年生の夏休みを利用して、住み込みで約1カ月働きました。しかし、今で言うパワハラがひどい職場があり、アルバイトが辞めると次のアルバイトを送り込むだけで、上司の言動を正そうとしません。アルバイト全員と協議をし、代表して支配人に抗議に行くと、その場で「会社を甘く見るな。アルバイトを全員解雇する」と言われ、真夜中に5、6人で山を歩いて下りました。

   その後、正社員の人から「われわれもストライキをした。支配人はいなくなった」と連絡がありました。パワハラという言葉もない時代でしたが、弱い立場の人たちを大切にしない職場は長く続かないということを感じました。

   ビニールハウスの骨格作りとは、土に刺さるように金属の棒の先を金づちでつぶし、馬てい形の型にはめて手の力で曲げる仕事です。会社の露天の駐車場で私一人の請負作業です。当初、日給は5000円でしたが、言われた通りにやっていると一日1000本くらいが関の山です。しかし、工夫すればもっと曲げられると考え、社長に「1本5円にしてください」と頼み、了解をもらいました。

   すると徐々に本数が増え、一日1500本くらい曲げられるようになり、日給が5割上がりました。あまり頑張り過ぎて耳鳴りがひどくなり、半年ほどで辞めましたが、小さな工夫を積み重ねることで、生産性が大きく向上することを学びました。

   これらの経験が社会人として役に立ったのかどうかは定かではありません。しかし、業種や企業規模の違うさまざまな職場を見ることができたのは、勉強だけでは得られなかったことが目に見えない形で蓄積されたのかもしれないと思っています。会社は社員の幸せのために存在すると信じています。このことを胸に残りの社会人生活を送っていきたいと思います。

  (AIRDO社長)

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