朝、診療所の通用口に着いたら、耳慣れない音が頭上から降ってきた。驚いて目を上げると、首の長い真っ白な鳥が隊列を組んで飛んでいるのが見えた。
白鳥だ。本州で冬を越し、シベリアなどに戻る途中、春のひとときを北海道で過ごすとは聞いていたが、こんなに間近にその姿を見られるとは。私は興奮して、近くにいた警備の職員に声を掛けた。「わあ、これって白鳥ですか? すごい! こんなにたくさん!」。するとその職員は、私が驚いているのに驚いた、といった表情で「はあ、そうですね」と言った。白鳥の到来は毎年のことなので、一緒にビックリしてくださいという方が無理な話だ。
考えてみれば私もそうだ。地方から東京に来た知人が「東京タワーってきれい! レインボーブリッジは映画で見た通り!」などと喜んでいても、なかなか一緒には感動できない。”いつもそこにある”と思うと、それが当然になってしまうのだ。
これはちょっともったいない。私にとっては当たり前。でも、ほかの誰かにとっては大きな驚きや喜び。北海道にはそんな景色、出来事、食べものなどが山のようにある。毎回、感動はできなくても、たまには「改めて見ると、これってなかなかいいな」と見直したい。
中には、誰に言われなくてもそうしている人もいる。穂別で出会う高齢者で、「毎年、春が来るとうれしくて。ふきのとうや木の芽なんてもう何十回も見ているはずなのに、いつも”出てきてくれてありがとう”と思うんですよ」と話してくれた人がいた。もしかしたらこの人は、北に向かう前に北海道で一休みしている白鳥にも、いつも「寄ってくれてありがとうね。来年も来てね」と声を掛けているのかもしれない。
私も、来年もその次の年も、「白鳥? いつものことだよ」などとは言わず、「わあ、大きい! 真っ白だ!」となるべく新鮮な喜びを味わえる人でありたい、と思う。同時に東京に戻ったときは、北海道などから訪れる知人と一緒に「新宿の高層ビル群ってすごい!」と都会の風景にも感動したい。
穂別で迎える春も2回目。去年は地元のアスパラを食べて「これまで食べてたのと全然、違う」と幸せな気持ちになったけれど、今年も同じように味わいたい。当たり前と思わずにいつも感動。新年度の私のテーマはこれだ。
(むかわ町国民健康保険穂別診療所副所長)