侍と公家

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年3月18日

  野球の「世界一決定戦」であるWBCに列島が沸いている。本稿はイタリア戦を目前にした16日午前の執筆。「侍」にはローマの末裔(まつえい)たちを打ち負かし、参加20カ国の頂点に立ってほしいと願うばかりだが、こうした勝敗へのこだわりとは真逆ともいえる(スポーツの?)世界があることを最近になって知った。「侍」ならぬ、お公家がすなる、蹴鞠(けまり)である。

   歴史ドラマで武家を籠絡する公家文化の象徴として描かれることの多い蹴鞠だが、「しゅうきく」とも呼ぶこの球技、実は勝ち負けがない。伝統の鞠装束をまとい、相手がとにかく蹴りやすいようにリフティングしながらアシストを続ける。膝を曲げずに、のどかに蹴ることが作法なのだとか。桜、柳、楓、松を四隅に植えた「鞠庭」(まりば)を舞台に、勝者も敗者も出さないために延々と続く雅な技の競演は、3時間に及ぶこともあるという。

   この話、藤原北家の流れをくむ山科流第三十代家元後嗣、山科言親氏と京都で会食をした際に教わった。絶滅危惧種になりかねないきもの業界にほんの少しでも貢献できたらと、京都に足を運ぶ時だけは和装と決めている。西陣織の知人の誘いでまだ28歳とお若い言親氏と初めてお会いしたのだが、宮中において装束の調達と着装を家職とし、有職(ゆうそく)故実をもって歴代天皇に仕えてきた山科家の若宗家だけに、美へのこだわりとともに飛び出す話題がすごかった。

   公家に伝わる日記は歴史の一次資料そのもの。信長が上洛の際の装束をどうすべきか山科家に相談に来たこと、天下を取ったばかりの家康に秀吉とは真逆の黒の礼装を勧め、これが後の紋付き袴(はかま)の源流となったことなどなど。

   極め付きは、今上陛下のご即位に伴う先の大嘗祭。装束をつかさどる家は、山科家と共に高倉家が並び立つ。一世一代の大嘗祭は皇居に臨時で設営される左の悠紀殿(ゆきでん)と右の主基殿(すきでん)の二つで同じ形式の供饌(きょうせん)の儀を執り行う習わしだが、前半の悠紀殿での着装は高倉家が担当し、真夜中に及ぶ後半の主基殿の方を山科家が担当したことを初めて知った。

   どちらが上でもなく下でもない。いにしえの東国と西国が統合してできたわが国を治める勝者も敗者もつくらないシステムそのものといえる。「侍」ジャパンの勝利を念じながらも、蹴鞠に潜むニッポンの知恵が気になり出してしょうがない。

  (會澤高圧コンクリート社長)

過去30日間の紙面が閲覧可能です。