熊が白いのか

  • 土曜の窓, 特集
  • 2023年3月11日

  今年で95歳になる祖母は愛知県に1人で住んでいる。祖母と住んでいた、わたしの母は5年前に亡くなった。娘に先立たれた祖母は「さみしい」と言った。「戦争でみんな死んでったから慣れとるわ」とも言った。先日祖母宅に泊まった時、2人でゆっくりと話す機会があった。その日は祖母の補聴器の調子も良く、おかげさまで長い会話が成立した。

   「苫小牧の新聞で文章書かせてもらってるの、すごくない?」とわたしが言うと「北海道懐かしいがね」と返ってきた。「え、なんで?」と驚いたわたしに「あんたのお母さんが小学生の時に旭川におったでしょう? あんた知らんかったのかね」と祖母が言った。わたしは30年近く母と不仲だったので、母から思い出話を聞いたことが一度もないのだ。

   「なんで旭川に?」とわたしは聞いた。「父ちゃん(祖父)の仕事だがね」。祖父は陸上自衛隊にいて当時旭川官舎に住んでいたという。わたしは、どんな生活だったの? 動物園には行ったの? 白熊は見た? スキーした? と矢継ぎ早に聞いた。「動物園なんて、なかったわ。昭和30年代だからねえ。明日食べるものにも困っとったから」「そうなの? スキーは?」「スキー? しとらんねえ。靴がねえ、雪の上にいると雪とくっついちゃうもんで外にいる時はずっと足踏みして大変だったわ」「へー他に何覚えてる?」「まきストーブだったねえ、何しろあんた、寒かったよ。ドア開けると手袋がドアにくっついとったでねえ」「白熊は?」「白熊なんか見たことないわ。熊が白いのかね。熊は白くても油断したらいかんよ、あんた」と、話は旭川の思い出から一変、熊が出たときの対処法になっていった。

   わたしは祖母の話に適当に相づちを打ちながら、そうか小学生だった母は旭川にいたことがあるのか、と幼かった母のことを想像した。昔、家で見つけた古ぼけたアルバムに貼り付けてあった白黒の母の写真は、旭川で撮ったものだったのだろうか。とてもかわいくて聡明な顔をしていた。母が亡くなってから、母の若き日に興味を持った。もっと、早く母と仲直りしていれば、いろんな話を聞けたのにと残念に思う日々だ。

   ふっとため息をつき祖母を見ると、まだ熊の話をしていた。わたしはおかしくなって大声で笑った。祖母も「急に笑って訳わからんわ」と言いながら、つられて笑った。わたしは、いつか旭川に行って母の歩いた道を歩いてみたいと、思った。(タレント)

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