私は集団生活や自分の時間を拘束されるのが苦手で、学生時代、クラブ活動はほとんどしませんでした。中学入学の時に親からもらった星新一や北杜夫の本を読んで読書にはまり、通学中も帰宅してからも一人で本を読んでいることが多かったと思います。
私が北海道出身の小説家として最初に意識して読んだ本は、三浦綾子の「塩狩峠」でした。当時、プロテスタントの高校に通っていて聖書の勉強をしていたことが手に取ったきっかけだったと思います。次は、小林多喜二の「蟹工船」です。大学の受験勉強をしながら、教科書にも載っていたプロレタリア文学の代表作を夢中で読んだ記憶があります。その後、なんとなくこの2人が私の北海道の小説家のイメージをつくっていました。
その後は特に意識することはありませんでしたが、2015年、札幌に暮らすようになってから北海道出身の小説家を意識して読むようになりました。最初に引かれたのが佐々木譲さんです。「警官の血」など警察小説から入りましたが、「エトロフ発緊急電」などの太平洋戦争3部作や幕末の歴史小説といった私が大好きなジャンルが多く、かなりの数の著作を読みました。
その後も札幌の旧宅を見れば有島武郎の「カインの末裔(まつえい)」を読み、石狩の厚田に行けば子母沢寛の「逃げ水」を読み、釧路に行けば原田康子の「挽歌(ばんか)」を読むなどかなりこだわっていた時期がありました。馳星周さんの「少年と犬」や西條奈加さんの「心淋(うらさび)し川」、が直木賞をとった時もいち早く読んでいます。
その中でも印象に残る出合いは、小樽文学館に行って小林多喜二の展示を見ている時、多喜二の生涯を母セキの言葉でつづった「母」という三浦綾子の小説を知ったことでした。私が最初に出合った2人がつながった瞬間です。
母セキの息子を心から愛し、信じ切る気持ちにあふれ、世の中の矛盾を純粋に嘆く言葉の数々は胸を打ちます。多喜二が亡くなった時、セキは「子供を守るのが母親だ、いや母は子供を守らねばならんと、その子を生んだ時から思いこんでいるもんだ。何もできんくても、傍(そば)にいてやりたかった」と慟哭(どうこく)します。
最近、母と子を巡る痛ましい事件が多く報道され、深い悲しみに襲われます。親子はどこまで愛し合い、信じ合うことができるのか、もう一度この本を読み返して考えてみたいと思っています。
(元AIRDO社長)