コロナ禍2度目の大型連休も終わり、支笏湖では6月1日に解禁されるヒメマス釣りの準備が進んでいます。
ヒメマスは、1894(明治27)年に道東の阿寒湖から天然卵が移入されたのが始まりです。3年後に初回帰が確認され、親魚採捕が行われたのは翌年の98(明治31)年。現在では支笏湖の観光を支える重要な産物になっています。
ところで、支笏湖と阿寒湖の間にはもう一つ別の「移植」がありました。1926(大正15)年に行われたマリモの移植です。千歳側には記録もなくほとんど知られていませんが、「マリモ研究の父」とも称される生物学者で元北海道帝国大の西村真琴教授(1883~1956)が行い、同教授の旅行記「緑王国」(1939年)にそのことが記されています。
同書を紹介した「緑王国 まり藻を探る」(釧路市教育委員会編、マリモと阿寒湖の生態史資料集1、2007年)によると、雌阿寒岳の火山活動活発化による噴火や阿寒湖の水温上昇による影響を心配したためで、道庁も注目し王子製紙の協力も得て移植が実現した、とされています。
道内各地で適所を探し、ヒメマスが定着した支笏湖ならばマリモも定着できると考えたようで、移植は1926年10月以降とみられ、場所はピプイ川(美笛川)河口付近と記されています。
マリモは緑藻の一種で細い繊維状。これが集まって球状の集合体を作ります。国内では阿寒湖のほか釧路湿原の湖沼、青森県小川原湖、山梨県の河口湖などで確認されており、このうち球状の集合体を形成しているのは阿寒湖と小川原湖だけで、ほかは岩に付着した藻のような状態(着生型)になっています。水深20~30メートルでも生きるため、研究者は「現在も生息の可能性はあるが、球状ではなく岩に無精ひげのような状態で付いている」としています。
(支笏湖ビジターセンター自然解説員 先田次雄)