先週末の9日午前、モンゴルのチンギス・ハーン国際空港に降り立った。首都ウランバートルはユーラシアのまさにヘソ。到着時の外気温はマイナス30度。息を吸うと思わずせき込んでしまうこのいてつく感覚は実に6年ぶりのことだ。年の瀬に無理して突っ込んだ1泊の弾丸出張である。
空港の出口付近に横付けしていたクルマに乗り込み、一路、完成したばかりという七つ星ホテルへ。朱色の革張りのロールス・ロイスを差し向け、宮殿のようなホテルで私を迎えてくれたのは、ニャムタイシル氏。MAKグループを一代で築き上げた、モンゴルの立志伝中の人物だ。
米キャタピラーの重機販売から身を起こし、露天掘りの石炭鉱山や金鉱山で財を成した。冷静沈着、物事を深く考える、決断したら電光石火のごとし。2017年には品質が劣悪な国営セメント会社しかなかったモンゴルに生産量100万トン超の最新鋭セメント工場「ユーロセメント」を新設。航空会社フンヌ・エアも傘下に入れるなど、MAKをモンゴルを代表するコングロマリットへと引き上げた。
当社は寒中コンクリート技術の移転を求めるモンゴル政府の要請もあって、09年に現地法人アイザワモンゴルLLCを設立、モンゴルにはない最高レベルの日本製プラントを持ち込み、数人の社員を雇用して生コン事業をスタートさせた。MAKのセメント事業を側面支援して来たユーザーであり、次の戦略を共に考えるパートナーでもある。
MAKは今年、創業30周年を迎えた。アイザワモンゴルの生コンを100%使用したモンゴル初の七つ星ホテルのお披露目を兼ねた記念の大パーティーだ。駆け付けないわけにはいかない。
ニャムタイシル氏と仲良くなったのは、彼の保有するヘリでロシア国境近くのバイカル湖に注ぐ川に「イトウ」を釣りに行ってからだ。上空から魚群を見つけては、ヘリで何度も降り立ち、幻の魚を追い続けるという、なんともぜいたくな遊びだった。
彼はその当時、エルベグドルジ大統領の政策顧問をしていた。手付かずの自然がそのまま残る、天国のような美しい川のほとりで食事を取りながら、ロシアと中国に挟まれたモンゴルの厳しい安全保障環境などについて意見を交わした。
9日のパーティーでは、オチルバト元大統領、バガバンディ元大統領らと共にメインテーブルに座らされて少々心苦しかったが、その時はたと思い浮かんだのは、アイザワモンゴル創業期の若きモンゴル人社員たちの顔。国内で最も信頼されるブランドを築いたのは、日系企業として品質だけは絶対に負けたくないという彼らの気概と誇り。その帰結が、分不相応ともいえる私のパーティーでの席次なのである。
アイザワモンゴルの出荷は今年10万立方メートルを軽く超え、グループで断トツの生コン工場となった。皆に感謝を伝えたくて、翌朝、工場に寄った。聞けば総勢30人という。初めて会う社員たちの中に、六つ年を重ねた懐かしい顔を見つけた。みんないい顔していた。
(會澤高圧コンクリート社長)